西野惠子 Yasuko Nishino
1961年生まれ・かに座
東京生まれ東京在住
女子美術大学付属中学校卒
女子美術大学付属高校卒
インテリアセンタースクール研究科卒
●好きな画家
レンブラント/ダ・ヴィンチ/フェルメール/アントニオ・ガルシア・ロペス/ミレー/アンドリュー・ワイエス/ハンマースホイ
好きな映画は、『モンパルナスの灯』。何度かテレビの洋画劇場で観た。
ラストは毎回、号泣していた。美しいジェラール・フィリップと、フランソワーズ・アルヌールが、とても素晴らしかった。
●絵をもう一度描こうと思ったきっかけ
還暦を迎え、本当の自分とは何か?について、真剣に考えるようになった。
そして絵を描いていない自分はあり得ない、という結論に至った。それで再び絵の道を志すことにした。
何十年もの間、絵を描くことから離れていたので、まともな線すら引けない状態だった。そのような状態から、イーゼルに向かい続けた。
数年経ち、少々は絵を描くことに体が慣れてきた。
●オランダに行った
●絵にまつわる思い出
幼少期から、絵を描くことが好きだった。
好きだったというよりも、おそらく、無意識に手を動かして描いていたのではないかと思う。
絵を描くことは、私にとってごく自然なことだったのだと思う。
父が建築業を営んでいたので、家には図面の紙が大量にあった。その図面の紙の裏に、いくらでも好きなだけ絵を描いていた。
小学校低学年の時、工事現場で働く人たちをイキイキと描き、コンクールで銀賞を受賞した。汗を流して働く人たちに、心を惹かれたのだろうか。
中学~高校時代は美術の時間が多く、美術に親しんでいた。
鉛筆デッサン、木炭デッサン、平面構成、水彩、油彩を学ぶ。
しかし将来を考える時期になると、私はインテリアデザインの道を進もうと決意。画家にはなれないと思いこんでしまった。
今思い返すと、あれは完全な思い込みだったと思う。
なぜあんな思い込みをしてしまったのか……。中高の学校教育のせいかもしれないし、家庭環境のせいかもしれない。
絵画の世界から私は離れ、インテリアデザインの勉強を続けた。
スクールを卒業した後は、デザイン事務所で設計の仕事に携わり、毎日図面を書いていた。
こうした仕事はクライアントから依頼を受けて行うものであり、その流れは当時の私にとっては居心地が良かった。
そうしてすっかり私は自発的に絵を描く行為をやめてしまい、忘れ去っていた。
その後もほとんど絵を描くことはなかった。
60歳を迎えた時「本当にこれでいいのか?」と考えるようになった。
ある時ふと、恩師に出会うことになる。その先生のデッサンは、とても心惹かれるものだった。
生徒さんたちのデッサンを見て「いいなあ」と眺め続ける日々。
そして――。
思い切って、飛び込んでみたのだった。
それからの私は、ほとんど毎日、絵を描き続けた。
描いている時は、無心だった。『無』になれることが、とても楽しかった。
それからある時、SNSに投稿した私の絵に、たくさん”いいね”や”コメントをもらって、驚きと共に、何か、すごく、そのことが自分に大切なことだと感じた。
絵を描いて、誰かに喜んでもらえるという、その流れが、とても自然なことに思えたのだ。
きっとこれでいいんだ、と、進む道を間違っていなかったと思った。
そうして、私は描き続けている。